既成概念にとらわれず自由な発想力を養う「アート思考」。イギリスのユニークな取り組みとは?
既成概念や固定観念にとらわれず、自分の思考や感情から発想力を養い新たな課題を見つけるというのが「アート思考」です。企業にイノベーションを起こす力として、今やビジネス界でも注目を集めています。絵や音楽といった一般の習いごとだけではなかなか身につかないスキルですが、イギリスでは幼いうちからアート思考を自然に鍛えるため、ユニークな取り組みが行われています。
目次
芸術を生み出すプロセスで必要な「考える力」を養う
アート思考とはアーティストがもつ創造性に着目したもので、芸術を生み出すためのプロセスで用いる特有の認知活動を表す考え方です。単なるスキルや知識だけでなく、テーマに向き合い、自らのフィルターを通して独自の答えを導き出す過程が重視されます。
言い換えれば「考える力」を養うということなので、芸術家だけに求められる資質ではありません。言われたことを実行するだけでなく、自己の価値観に基づき考えたうえで行動するという能力であり、思考力に基づく成果を出せる人材が求められるビジネス社会においてはとても価値がある力といえるでしょう。
こういった「考える力」は生まれつきの才能やセンスといった資質とは関係がなく、日常の習慣や練習により誰でも身につけることができるそうです。ただ、インプット偏重型の日本の学校教育では、なかなか難しいかもしれません。
課外授業で訪れた美術館では“目隠しして鑑賞”
さまざまな分野でクリエイティブ人材の育成を重視しているイギリスでは、国立の美術館や博物館の多くを無料開放し、子どもたちが気軽に本物の作品に触れることができるようになっています。ミュージアムカフェやレストランだけでなく、お弁当を持ち込めるピクニックエリアも設けられ、大人から子どもまで生活の一部としてアートを楽しめることを前提に設計されているのです。運営費用は国や地方自治体の財源をはじめ、ファンドレイジングや周辺施設の売り上げなどで賄われています。
児童向けのクリエイティブ教育も盛んです。筆者が見学したロンドンの近現代美術館「テート・モダン」では、課外授業に訪れた子どもたちが館内をただ歩くだけでなく、「ペアを組み目隠しをしてアートを鑑賞する」というユニークなワークショップが行われています。たとえば、小学生低学年向けツアーの1つは以下のような手順で行われました。
① 案内役の子が目隠しをした子の手を引き、自分が選んだ作品の前に連れていく
② 案内役の子は目隠しした子に作品について言葉で伝え、再び2人で出発地点に戻る
③ 目隠しを外した子は案内役の子の情報をもとに頭の中に浮かんだイメージ像を紙に描く
④ 2人で作品の前に戻って思い浮かべて描いた絵と実物の作品を比べ、実物を見ながらスケッチする
⑤ 全員のスケッチが終わると自分の描いた2枚の絵を比べ、どこがどう違っていたか感想を話し合う
この授業は、「どのくらい正確に伝えられたか」や「どのくらい上手に描けたか」を競うものではありません。頭のなかで浮かんだイメージを描く抽象画と、見えたものをそのまま描く写実画の違いを体感させることが目的となっています。
(ロンドンのテート・モダン美術館)
アート思考の基礎になった「ビジュアル・シンキング・ストラテジー(VTS)」
このようなアート思考教育メソッドの基礎を作ったのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)元教育部部長のフィリップ・ヤノウィンと、認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンです。「ビジュアル・シンキング・ストラテジー(VTS)」と呼ばれるこの教育法は、現在では米国を初めヨーロッパほか世界各国の教育現場や病院で採用されています。
VTSは対話形式で行われ、3つの問いかけを軸にアート鑑賞を行います。
① まずナビゲーターが作品情報を与えずに参加者にアート作品を見せ「何が起こっているのでしょう?」と問いかける
② 参加者から「こんなことが起っていると思う」「あの人は困っているみたいだ」などの反応が得られたら、「どうしてそのように思いましたか?」と理由を聞く
③ 理由について一通り出揃ったら「ほかに何か発見はありますか?」と質問を進め、さらに対話を深めていく
「誰の作品か」「何派か」といった答え合わせではないため、この教育メソッドではその場にいる人の数だけ意見が飛び出します。「気持ち悪い・きれい」「好き・嫌い」「おもしろい・つまらない」といった感覚的な意見も、ナビゲーターが「どうしてそう思ったのですか?」と問いかけることで、さらに深掘りして思考プロセスを探っていくことができます。
前述の子ども向け館内ツアーでも、目隠しワークショップの後にはピカソの絵を囲み、子どもたちのディスカッションが行われました。
「正解」がない世界で答えを見つける力
アートには「こう考えなくてはいけない」や「こう感じるべきだ」といった正解はありません。自分の解釈と、そのアウトプットがその人のオリジナルな答えになります。
目の前にある絵から自分なりの意味や疑問を見出つけてことばにすることは、アートへの理解を深めるだけではありません。たった1つの「正解」ではなく複数の考え方が存在する社会において、複雑な問題に立ち向かうことができる問題解決能力の向上にもつながります。
さらに、感じたことやその理由を言語化することは、観察力や思考力だけでなくコミュニケーション能力も高めてくれます。相手の意見に耳を傾けたり話を引き出したりするスキルは学校ではなかなか身につきにくいのですが、勉強ができることやアートに知識があること以上に大切なのではないでしょうか。
おわりに
アート思考を養うVTSメソッドは、日常においてもすぐに取り入れることができます。たとえば絵本やネットで見つけた絵画、子どもが描いた絵などを使い「これはどうなっていると思う?」「なんでそう思ったの?」とたずねてみるところから対話が始まります。親子で感想を比べ合い、さらにコミュニケーションを深めていくこともできると思います。
絵画などのアートは人生を豊かにし、時には癒しにもなってくれます。子どもたちが自分らしく深みのある人生を歩んでいくためにも、アートをベースにしたVTSメソッドを親子で体験してみてはいかがでしょう。
<参考URL>
https://vtshome.org/
取材&執筆者:ネモ・ロバーツ(ジャーナリスト/アーティスト)
世界35か国在住の250名以上の女性リサーチャー・ライターのネットワーク(2019年4月時点)。
企業の海外におけるマーケティング活動(市場調査やプロモーション)をサポートしている。